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自意識過剰→妥当ってどの程度?

せっかく防音マンションミュージションに住んでるくせにノイズキャンセリングイヤホンを購入した「繊細オブザイヤー」ほそみゆたかです。
#イヤーがかかっています
#説明しないほうがいいやつ

今回のやばい音楽

自分の感動の基準を知れるので記録を続けます。
今回はこちら。


Queenの「We Will Rock You」です。

あまりにも有名ですが、改めて聴いてみて?

バンドとしても最強、さらにピアノボーカルや、ゴスペルちっくなコーラスが売りの最強グループが、演奏なしの手拍子と足踏みですよ?!

世界中誰しもが、初見でも参加できるリズムパターンとメロディと歌詞。
コール&レスポンスしやすい曲とかって、単調になりやすいから作るの難しいんですよね。

これはその極地でしょう。おれの曲だったらいいのになあって何度思ったことか(笑)

ラスト、ギターソロが始まって、ここからバンドインかと思えばそれで終わり。
絶妙に「不完全燃焼感」がないんですよ、なんですかこの魔法は。どんな発想でこうなるんだ。

ボヘミアンラプソディや、Don’t Stop Me Nowも好きなんですが、「衝撃を受けたやばい音楽」としては圧倒的にこちら。

今回のテーマ

さて今日は「自意識過剰は脱したかもだけど、自意識妥当ってどの程度?」ってなテーマを考察します。

自意識が消滅したようにも感じる反面、すっごい意識してる気もして、まだ頭の中がまとまってないので整理してみます。
いつものように、着地点を決めずに書きます。

自意識過剰とは

ひとまずいつもの言葉の意味から。
ものの本によると…

自意識過剰(じいしきかじょう)とは、人が他に対して自己を意識し過ぎた状態。他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なにやらあまり良くないこととして言われますよね、自意識過剰って。
まあ、”過剰”なのでそうなんですけど、何か矛盾を感じていて。

こういう、自分のことばっかり考えちゃうときって、
「周りはそんなに君のこと気にしてないさ」
とか
「他者目線になってみようね」
とかっていうじゃないですか?

つまりは相手の気持ちになって、自分を見てみようってなわけで…あれ?
それって結局、他人が自分をどう見ているかを気にしてない?

なので、
「他人が自分をどう見ているかなんて全く気にする必要ないぜZE★」
ってわけじゃないんですよね。
適度に自意識は持っておいたほうがよさそうではある。
やはり自意識はよくて、過剰がよくないよと。

自意識の塊だった

ほそみといえば自意識の塊。
自分こそスターになるニンゲンと信じていました。

というか、ならなきゃいけないんだと強く思っていました。
何者かになって見返してやんねーとまじでまじでなんなんだよこの人生って。

「ハリーポッターの1話目」のような環境で生かされていたため、あれを観た時に確信しました。
「いつか凄い能力が目覚めて、別人のような人生が始まるんだ」ってね。
#まさに廚二病
#額に22針縫った傷跡もあるもん

でも待てど暮らせど、ヘビは話しかけてこないし、嵐の夜に箒に乗ったオッサンがドアを蹴破ってバースデーケーキを持ってきてくれたりしないままアラサーになりました。
#たんじょびィおめでと

ライブ活動を闇雲に続けていて、おれのやりたいことってたぶんこれじゃないなあと制作に専念。
匿名ドット絵で活動してみるも、結局自分がチヤホヤされることが音楽活動だという発想しかなかったので、自分にはそれが合っていないと気づけませんでした。

そこである日家族が崩壊し、親も親じゃなったと判明し。
#まじのハリーポッターやないか

何者かになって見返してやろう、認めさせてやろうって必要がなくなった瞬間でもあるんですよ。

NARUTOのマインドで生きてきたんですが、ひっくり返りました。

そしたら生きるモチベってなんだろうってなりそうなもんですが。
この直後に偶然「福祉」に携わることになって、ほそみの人格が確立したように思います。

自意識消滅?

実は福祉をやるって聞かされずに岐阜県まで行ったんですよ。
正直、騙されたというか、たぶん、いいように使われました。
だって「田舎の町おこしをしたい!」って募集で、Zoom面接もしたんだもん。

これってきっと普通、ふざけんな案件だと思うんですよ。
でもでも、なんとほそみ、福祉って素晴らしいなって思っちゃって。
勝手に別のことをやらされていることにまったく触れずに生活支援員やってました。

っていうか、ぼくの名刺を作ってくださって、そこに「生活支援員」って書いてあって知りました。
やばいことなんだろうけど、福祉が素晴らしかったので、一言も「話しが違くね?」と言わずに、結果めちゃくちゃ感謝もしています。

で、福祉に従事するにあたって、自意識とか超絶邪魔なんですよ。
お困りの方々に寄り添う立場なわけで、
「嫌われたくない、良く思われたい!」
とか言ってたら救えないんですよ。

でもぼくは、福祉をやるって聞かされてなかったため、前知識というか、どう振舞うべきかとか知らずに現場へ。
そこで自意識を消滅させて、ただただ人様のために寄り添う、言葉や表情を選ぶ、のが向いていたようで。
特に戦略的そうしようと思ったわけでもなく、自然体でというか、心地よかった。

向いてたとか自分でいわないほうがいいですが、脳内整理なのであしからず。

本当にそのとき、突然埼玉からやってきて、なーんにも知らずに働き始めた僕のことをみんなどう思ってるんだろうとか考えてなかった。
みんな心が綺麗で、社会復帰に向けて頑張ってて、自分のネガティブな部分にちゃんと向き合って戦っていて。
美しいなと思ってた。
なので自意識なんて気にする必要がなかった。

#でもほそみだったからなんとかなったけど
#グループホームにどこの馬の骨とも分からんやついれたらだめだろ

とにかくあの環境に、偶然にも身を投じたからこそ、ほそみは強みを活かせるようになりましたとさ、と。

でも、これで良いのかなって危機感を感じることがあって。

自意識妥当ってどの程度?

ようやっと本題です。
#まじかよ

そんなこんなで温泉旅館の仲居さんや、人力車の車夫なんかもやって、ボイストレーナーになりました。
人様のお役に立つことを基準にしたら、やっぱりお仕事って楽しい。

で、トレーナーはどうやら性に合ってるようなのですが、時々不思議な気持ちになることがあって。

例えば以前、レッスンしているときに、
「先生、目が綺麗ですね」
って言われたんですよ。
めちゃくちゃドキっとしちゃって。
#イエス、フォーリンラブ的な意味じゃなくて

突然、意識が自分に向いてしまって、「え?!これ、誰?!」ってなったんです。
#伝わらないと思う

たぶん、レッスン中やお悩み相談のときなんかは、自意識が完全に消滅していて。
かといって相手の目線になってるわけでもなく。
第三者視点、ってのも違う気がして。
誰か視点になると、ほそみはそこにいるので、自意識少しはあるじゃないですか?

なんか、「ナレーション視点」的な?
アニメとかでいう「天の声」的な?
そんな気分なんですよ、伝わらないだろうなあ。

突然自分の容姿の話とかされると、ほそみが現れちゃって。
びっくりしちゃったんですよね。

そしてその感覚のおかげで、そういえばほそみって常に自意識過剰だったから、トレーナーは向いてなかったはずだよなあ、って思ったんですよ。

福祉前のほそみだったら、おれならこう歌う、おれはこのキーも届く、とか。
逆に、先生なのに下手って思われないかな、おれの声みたいになりたくないって思われてるかな、とか考えてレッスンにならなかったきがする。

そういえば、なーんにもそういうこと、考えてない。
なのでストレスなく、うまいこといってるのかなあ、と。

じゃあいいじゃんってなもんですが。
ところでほそみの生きがいだった作曲はどうなのよと。
人生かけてやってきたライブはもうしにゃーのかよと。
#猫?名古屋?

自意識過剰だったころのほうが、貪欲にがむしゃらに上昇志向があったんですよね。
いま、どうだろう?
人様のお役に立てていればそれでいいので。
ほそみの音楽はお役に立つレベルや影響力はないんですよね。

じゃあレッスンでいいんですよね。
で、最近のもやもやはこれじゃん、と断定しました。

さっきのナルトのようなマインドが好きなんですよ。
なので適度な自意識を取り戻して、自己表現していきたいなと、脳内整理が今、済みました(笑)

まとめ

自分語りをブログでもラジオでもしまくってるんだから十分自意識過剰じゃね?
とも思うんですが、たぶん今までとは違ってるんだよなあ、うーむ。

ひとまず、自分が前に出ることで、脚光を浴びることで、誰かが喜んでくれるようなものがあれば取り組んでみようと思いました。

おこがましいですが、あくまで誰かの役に立たないならモチベにならないので。

かなりの長文になってしまいましたが、記録しておかなきゃならない話だったと思います。

これも誰かのお役に…なるのか?