昨日の話の延長、「多数決で勝ってしまった時」
昨日の続きです。
昨日は、その場の多数決で勝てなかった時の分析をしましたが。
「その場の多数決で勝ってしまった時」も記録しておきたいと思います。
ポイントとしては「勝ってしまった」です。
勝とうと思って勝ったのなら良いのですが。
不意に勝ってしまった時、つまり想定外で味方についてくれる人が現れた時、という意味です。
昨日の記事の、「違和感を広める」「周りの人におかしいと思ってもらう」という点で、その違和感に気付いて味方になってくれた人も含めます。
そうやって味方になってくれた人、または心変わりしてくれた人、は「味方」であって、「仲間」とまでは思わない方が無難です。
その議論に関しては味方だけれども、だからといってここに友情がちゃんと出来上がっていて、同じ志を持っているか?
と言われるとそうではありませんよね。
つまり
「ここで味方してくれたんなら、別の意見も賛同してくれるだろう」とか。
「味方になってくれたんだから、別の件でその人が主張するものには同調しておこう」というのは危険だという話です。
あくまでその議論の中での味方ということです。
なので違和感を広めることができて、ボロカスにされた多数決が時間をかけてひっくり返る。
ひっくり返った時に、勝ってしまったことにすがり付いていては、宝くじが当たったことが自分の実力だ!とずっと言ってるやつと同じです。
たまたまです。
そういった積み重ねによって、しっかりと友情が築けるように、ひとつひとつの災害に、嘘をつかずに、冷静に、対処していきましょう。
そもそもそれは災害なわけだし、負けを認めたんだから、後から賞賛されたり謝られたりしても、その結果はもうどうでもいいですよね。
すっぱりと負けを認めて、「戦わない」を選んだことによって、後々心強い仲間が増えるかもしれないと思って、耐え抜きましょう。
少なくとも放火した人たちに味方が群がることはあっても、仲間が増えることはないのですから。
「味方」と「仲間」で分けてお話ししましたが、僕の中での区別なので、分かりづらいっすね(笑)
それでも誰かの役に立ったらと思います。
みんな頑張ろう。
おれは今前に進めないけど、足は止めねえぞ。
みんなはどうなんだ。