Blog

「その場での」多数決に勝てないときは

ぴくちっぷ

大丈夫だ、頭は動いている。
毎日「頭は動いているか?」だけは忘れずにチェックしよう。

今日は「その場での多数決に勝てないときは」という思考を記録します。

人を陥れるのは簡単だ。
いじめがなくならない理由もそうだ。
どんな良いヤツだって悪者に仕立て上げることができる。
どうやって?
多数決だよ。

例えば、普通に歩いていただけなのに、
「あいつはアリを踏み殺していた」
「いつか殺人鬼になるだろう」とか。

聴こえないように、もしくは声に出してすらないのに、
「挨拶をしたのに無視された」
「あいつは人を選んでキャラを変えてる」とか。

もっと大げさに言うと。
子供が車道に飛び出してひかれそうになったところをダイブして救い出した、としたら。
自分の身を呈して究極に良い行いをしたというのに、
「あいつは目立ちたがり屋だ」
「人に良く思われたいんだ」
「自分のためにやったんだ」
「子供を車道に突き飛ばしたの見たぞ」
と言うことだってできる。
常識的に、とか道徳的にとかの話じゃない、揚げ足を取ろうと思えばいくらでもできるって話。

今思い出した。
よくいうあれだよ。
「戦時中の英雄は、戦争が終わった途端ただの人殺しでしかない。」みたいな。

ここで重要になってくるのが「多数決」だ。
気づかないうちにアリを踏んでいただけで、いじめられるなんて嘘だと思うか?
30人のクラスでこの議題で学級会を開いたとしたら。
例えば、
「アリを踏んで殺したのは事実だ!生き物を殺すのは悪いことだ!」
と言われたらぐうの音も出ない。
そこで自分以外の29人に「悪いことだ!」って言われたら、「みんなだってアリを踏んでるじゃないか」という意見は絶対に通らない。
絶対に通らないんだよ。
だから議論は成り立たないし、指摘されたら、アリを殺してしまったことは事実なのだから、勝てっこないんだよ。

じゃあアリを一匹も殺さないように、一切の揚げ足を取られないようにビクビクと怯えながら生きていくのが正解か、と言うと、そうじゃない。
もうこれは「自然災害」と思って、速攻で謝罪する。
勝てなくて、避けられなくて、議論できなくて、傷つけられるのだから、これはもう自然災害なんだよ。
悪いことをしてなくても被害を受けるんだよ。

そこで、
「わざとじゃないんだ!」
「気づかなかったんだ!」
「君たちはどうなんだ!」
とかそんなことは無駄。
事実アリを殺しているんだから、“その指摘に対しては”謝罪し、堂々と生きる。
その様子を第三者が見たときに「何かおかしくないか?」と思ってもらえればいい。
さっき言った多数決が、そのクラス以外のところ、他のクラスの人だとか他の学校の人だとかネットを通して世界中の人が見たときに、「このクラスはおかしい!」となれば、多数決はいつかひっくり返る。
自分がただ単に陥れられているだけなのであれば、相手が自然災害なのであれば、素直に負けてとっとと次へ進むべきだ。

ここで「負けを認めてしまう」という認識でいると、あたかも相手の尻に敷かれるような、優位に立たれるような印象を受けるかもしれないが、そうではない。
指摘されたそれに対しては速攻で謝罪し、違和感を広めるということだ。
「お前の負けなんだから、他の要求も飲め!」ということに対しては、筋が通らないので、認めない。
だんだんと、「この人は何で素直に謝ったのに周りからボコボコにされているんだろう?」という違和感が生まれる。

せこい事を言ってるような気もしてきたけど、全然違う。
理不尽に多数決を迫られているんだったら、その場の人数だけで決めんじゃねぇよと、人数を増やして圧倒するしかない。
ただ、その人数の増やし方に、「同情」は使うな。
「黙って背中で語れ」的な部類のやつだぞ。

脳内整理をして、自分に言い聞かせているだけですが。
誰かの参考になればと思います。

スポンサーリンク
記事URLをコピーしました