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友情は何年経っても無くならない話

今朝 Facebook の DM でこんなメッセージをいただきました

送り主は、中学の時の親友からです。
最近の僕は涙腺が弱いので、朝からやられてしまいました。
本当にありがとう。

彼は中学2年の時に、僕を絶望から救い出してくれて、お調子者キャラを引き出してくれた恩人です。
結婚式にも「ほっそってバスケ部だったよね?」とかすっとぼけて招待してくれました。
(彼はバスケ部、僕は卓球部です)

そういえば彼は、介護関係のお仕事をしていると小耳に挟んだ気がします。
友情の素晴らしさを研究しているさなか、連日の友情ラッシュ、僕は幸せです。

さて、メッセージの内容なのですが、僕の脳内を記録しておきます。

「要介護認定」というものがあります。
市役所の方で介護保険の申請をし、審査してもらい、認定してもらうものです。
健康保険とは別の機関です。
ざっくり言うと、健康保険は病院関連、介護保険は自宅や施設でのあれこれの負担を減らしてくれるものです。

要介護認定には、要介護1~5のランクがあり、症状が深刻なほど受けられるサービスが増える、といったところでしょうか。
要介護の必要がなく、「支援」と認定されることもあるようです。
支援の場合、年配の方が最も注意せねばならない「孤独」をケアしてくれるようです。
ご自宅に介護士の方が来てくださったり、相談に乗ってくれたり、レクレーションに参加できたり。

そして肝心の僕の父は63歳なので、老人というほどでもないですし、認知症も患っていないので、少し具合が違います。
でも末期癌の関係で片足を切断しているので、おそらく要介護認定は降りると思われます。
もちろんすぐに申請したのですが、まだ結果が出ていません。
これから退院になり、自宅で僕が介護をするのですが、その時にかかる消耗品や、ベッドや車椅子、一体何が必要なのか、その時の父の状態はいかほどなのか、何も分からない段階です。

そこでつい先日発覚したのですが、お世話になっている病院が、まだ市の方に介護認定を申請していないそうです。
市役所の方とも、まだかまだかと待ちくたびれていたのですが、まさかの病院で滞っていました。

しかし病院側は、いつでも最適な処置を施してくださっているので、きっと父の容態がコロコロと変わるため、判断が下せないのではないか?と理解しました。
ただ僕たち家族と、病院と、市役所の、三つのやり取りがあまりにも不便なので、この令和の時代に、もう少しなんとかならんかなあ…と思うことはたくさんあります。
とにかく情報の共有が、今すぐ絶対、もっとスムーズにやれるとは思います。

例えば入院中の父の担当をしてくださる看護師さんが、1日おきに交代するのですが。
新しくくる看護師さんは、父のことを何も把握していない状態できます。
技術や知識、人柄の良さなどは全く何の不満もないのですが。
父の片足がないことや、癌の終末期だということすらも知らずに交代してくる人がほとんどでした。
どうです?
絶対なんとかなりますよね?

そこでふと、最近気づいたのですが。
僕はそう言った、「ストレスのない自然なシステム」を考えるのが好きかもしれません。
漠然とアイディアを出す仕事がしたいなと思っていましたが、「仕組みづくりのアドバイザー」的なものになりたいなと。
これはボクの脳内の記録なので、思いつきで夢を語っでも構いませんよね?(笑)

話がそれましたが。
参った時は堂々と、親友の力を借りようと思います。
ご無沙汰している友人たちと、再び繋がりあっていくことが、クライマックス感があってワクワクしています。