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自分を知るには他人が必須

ぴくちっぷ

アニメポケモン初代1話から見直してリアタイに追いついたほそみゆたかです。

#1300話くらい #30年分 #時空歪んでない?

推しポケはポッチャマです。掃除好きとしてはチラーミィを飼いたいです。

さて今日は「自分を知るには他人が必須」ってなタイトルで書いてみます。

自分らしさとか、自分探しとか、本当の自分とか、使命とか役割とか、そういうやつです。

最近ぼんやりと、そういうことなのかなあと思っていることを脳内整理しておきます。

好きなことやりたいこと

ってなんですか?と聞かれれば、漫画やアニメ、ゲーム、旅行、そういった趣味と呼べる娯楽が答えになりそうなもんですが。

「どんな職業でも選べるとしたらなにする?」

「人生を通してやり続けたいものってある?」

みたいに聞かれると、まあムズイ。

そうやってスケールを大きくしたり、誇れる趣味みたいに考えちゃうと、なんだか本当にやりたいことなんてない気がしてきます。

好きなことを好きでい続けるのって、意外とハードル高いんですよ。

現実問題、働かなきゃ食っていけなくて、てことはやりたくないことをやらなきゃで、好きを仕事になんて絵空事…と思っちゃいがち。

そうなると、好きなはずなのに優先順位が下がっちゃって、機会が減ると、興味が薄れていく。

暗い考え方な気がしますが、たぶん、的を射ているはず。

今回はなんの話かってーと、「好き↔︎得意↔︎使命」って例のやつの話ですよ。

それら3つ全て叶う何かが見つかったら、人生最高だよねっていうあれです。

これの見つけ方が、分かった気がするんです。

「たまたま偶然巡り合えた人はラッキーだよねー天才だよねー」じゃないんじゃね?って話です。

もう少し勿体ぶりますよ?笑

他人が必須

自分が本当にやりたいことってなんだろう?

向いてることって、得意なことって、好きなことって…

と考える時に、「自分」のことなのだから、「自分」の中から探そうとしますよね。

でも、いくら考えたって分からんのですよ。

だから普通、いろんなことにチャレンジしてみようってなるじゃないすか。

例えば、子どもに早くからサッカーをやらせよう、いやでも自分で選べる年になってから本当にやりたいことをさせてあげた方が、とかよくある討論。

あれとかまさに、自分で選んで欲しいからいろいろやらせてあげよう、になるわけで。

それはもちろん正しいとぼくも思いますが、それも「”自分”で選んで欲しい」が基準になってて、そこが根底からズレてたのかもなあと思うようになりまして。

いろいろやってみるだけだと、「好き↔︎得意↔︎使命」の、「使命」が永久に分からんのですよ。

つまり、「使命」ってのが社会の役に立つことだと定義するなら、「他人」の存在が欠けてちゃだめなんです。

「好きこそ物の上手なれ」って言葉がぼくは大好きで、好きだったらいっぱいやっちゃうから勝手に上達して得意になっちゃうよねーっていうあれ、とても理にかなったことだと思う。

でも、それだけでは使命感までは生まれない。

人の役に立って、初めて使命と呼べると思う。

いっくらスマブラが得意でも、人の役に立ちゃしない。

かといって、プロのスマブラプレイヤーになって仕事になるほどやりたいわけじゃないし、つーか普通に難易度高すぎ。

自分よりうまい人なんていっぱいいるんだろうし無理だな、じゃあ、本当にやりたいことじゃないかもな…ってなるわけじゃんすか。

そう、他人に喜んで貰えたり、褒めてもらえたり、向いてるよ〜って言ってもらえたり、絶対コレ続けた方がイイよ!ってリアクションが他人から返ってくることで、使命感って芽生えるんじゃないかなと。

つまり今回の答えですが。

好きなことを見つけるには、他人に見てもらう、一緒にやる、などして、楽しんで貰う精神がないと、あかーん!!!ってこと。

やはりここでも、「他者志向、大事」ってこの世の心理とも繋がるし、

「アウトプット、大事」ってのも見えてくる。

いやーこれは大発見ですよ?

人から言われて好きになる

てことはですよ。

いろいろやってみる!までは超大正解。

で、その「やってみる」を、自分の中だけに留めてちゃいつか「自己解決」しちゃう日が来ると思うのです。

好きだから夢中でやっちゃう、そしたらすごく上達して得意になった…

うん、そろそろ飽きたし仕事忙しいし、もういいかな…って。

なので、誰かを巻き込んで一緒にやる仲間を作ったり、人に見てもらって感想を求めたり、SNSで発信してみるのも良いでしょう。

そうしてイイ反応が返ってきたら、嬉しくって好きになって、そこから改めて、好きこそ物の上手なれが発動するのが美しい流れなんじゃないかと!思うわけですよ。

子どもの頃は、褒められたら好きになっちゃうの、普通にあったと思う。

ゲームでもドッジボールでも遊戯王カードでも、みんなのリアクションが嬉しかったからのめり込んで、どんどん上達した、ってことあったじゃないですか。

「学校」というシステムが人間の成長に必要な理由の大きな1つだと気づけました。

しんどいことの方が多かった気がするし、無理して行くとこじゃないよねって現代のマインドはぼくも賛成だし、当時のぼくにそう言ってあげたかったのは変わんないけど。

それでも他者と問答無用で過ごさせられて、何をするにも多くの同い年に見られるって環境は、大人になった今ではなかなか作れるもんじゃない。

優劣がつくのは好きくはないし、競争から逃げ続けることが人生の攻略法の1つだと思っちゃいるけど、自分探しに他者が必須なことは間違いない。

今だから思える。いや集団生活向いてなさすぎてキツかったけどさ笑

まとめ

いかがだったでしょうか?

なんだかアツくなってしまいましたが、それほど大きな気づきだったのでね。

他者志向は共有するのムズイなあと日々、どう伝えたらイイかなと試行錯誤してますよ。

ぼくはボイストレーナーをしていますが、みんなに「人のために歌おう」「音楽はコミュニケーション」ってもう口酸っぱく言ってます。

その真意は、みんなが音楽を追求していく上でいつか届くだろうなと思ってます。

まさか自分がもう完璧だとは思っていませんが、現在地をここに記しておきます。

それでは、今日はここまで。

ぼくたちの旅はまだまだ続く。続くったら続く。

これも誰かのお役に立てていることを願います。

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