「仕事」はお金よりも心のためなんだよなあって話。
都内のシェアオフィスでの盆祭りイベントが最高すぎて何度も夢に見るほそみゆたかです。
エモい感じですが「炭坑節」を歌っています。
#月が出た出った~
Maroon5を思い出しました。
狂気的なまでにみんな汗だくでマイムマイムとかを踊り狂いましたよ。
さて今日は、「仕事」はお金よりも心のためなんだよなあって話を記録します。
人生における仕事ってもんの結論が出ましたので。
仕事とは役割
仕事とは名前を与えられるようなもので。
「君は子供たちに文字を教えてくれないか?」
「わーい!先生ー!」
ってなイメージ。
#雑
自分はこれをすればイイんだ、役に立てるんだ、
ってのが生きがい、存在意義になるわけで。
「君に出来ることはないから何もしなくていいよ」
って言われたら、悲しい!
まさか
「ラッキー!働かなくてイイんだー!」
とはならないはず。
誰にも必要とされないなんて耐えられない。
なのでお金や報酬は二の次。
まず根本は、役に立つ。必要とされる。
それが仕事の本質。
学校で、委員会とか日直とか掃除当番とかをわざわざやってきたのは、そういうことなんだろうね。
仕事はお金のため?
そもそも働かないと生きていけないって、なんかおかしくない?
みーんな仕事したくない、遊んで暮らしたいって思ってる。
でも、生きるには「お金」が必要だから、仕方ないけど働く。
人類はわざわざお金が必要な世界線を作って、人間が仕事をしなきゃな流れを作ったわけだ。
みんな働きたくないのに、だ。
どうしてそんなイジワルなことをしたのさ!
と誰もが一度は考えたことがあるだろう。
じゃあこれは人類の犯した大失敗だったのだろうか?
…答えはノーだ。
#和訳された感じで喋る奴
役割がないと人は耐えられないとすると、人間には働くことが不可欠なんじゃないかなと思うのです。
お金ってのは役に立ったから貰えるわけで、役に立ったから家賃が払えて家に住めるってのは理にかなっているなあと。
まあ結果、お金のために働いてはいるんだけど、お金ってなんだっけッてのを忘れないようにしたい。
というか、始めからそう言ってくれればもっとちゃんと給食当番とかやったのになあ(笑)
心のために働く
“毎日が日曜日だったらいいのにと本気で願っていたくせに、風邪で2日も休むと学校に行きたくてたまらんくなる現象”ってあるじゃないですか?
#長い名前だこと
あれってまさに役割がなくてモヤモヤしちゃうからじゃないかなと思っていました。
もちろん友達に会いたいからってのもあるでしょうけど、
休み明けに学校に行くと、自分がいなくても普通にみんな過ごせていて、
自分の当番を誰かが代わりにやってくれていたりして、
あれ?なんだろう、寂しい!
ってなったじゃないですか。
あれです。
#強引
そうか、皆勤賞の子はあの経験をしていないのか。
片頭痛持ちだったことに初めて意義を見出しました(笑)
それはさておき、
3年前にぼくは福祉に従事していました。
「就労支援」というものも担当していました。
心のトラブルで働けなくなってしまった方々が社会復帰をするための、お手伝いをするのです。
みんな前向きに仕事というものに取り組んでいて、とても素敵な空間でした。
「働きたい」んです。
保険や生活保護など、働かずとも生きてはいけるのにです。
お金のなんだけど、お金のためじゃない。
「○○さんには、これをやって貰おうかな♪」
と、利用者さんの名前を呼んで、役割を任せる。
それが生活支援員としての、大事な仕事でした。
あの頃は、支援している立場なのになんだかぼくも救われているなあと思っていました。
心のために、仕事は必要だと断定できます。
まとめ
「お悩みのすべてが人間関係」と今でも思ってるのですが。
「仕事」や「存在意義」のようなお悩みもよく聞くようになって。
人間関係もそこまで掘り下げると、ちょっと別の視点がいるよなあと思ってたんです。
というのも、ほそみ、休日が疲れるんですよ。
せっかく休養日を設けているのに、休みの日のたびに頭痛で寝込んでる(笑)
でもレッスンすると、疲れが吹き飛ぶし、レッスンの日は体調がイイ。
2年間、無遅刻無欠席ですよ。
これはもう、今回の記事を裏付ける証拠でしょ!うん!
#サンプル数1
そりゃそうだよね、って方も多いとは思いますが、
そんな視点で仕事や人間関係を考えてみて、少ーし居心地がよくなったらなあと、思います。
心の安定のために仕事をしていると考えられたら、
仕事で心が不安定になるのは見過ごしちゃあならない。
名言めいたことが言えて、ふふんってなってます(笑)
#マーカーも引いちゃった
どなたかのお役に立てたら嬉しいです。
このブログがほそみのメンタルケアにもなってるわけだなあ。