過去の自分はもう別人だなって感覚は良いのか悪いのか?
「自動調理器」なるものを購入して、もう完全に嫁が来ないことが決定したほそみゆたかですこんにちは。
適当に野菜、肉、摂取したいハーブやパウダーぶち込んでスイッチオン!
完成!(何ていう料理なのこれ)
タイマー機能もあるので、一人暮らしでも
「ただいま~!おっ、カレーの良い匂いだぁ★」
が実現。
低温調理もできて、茹でたり蒸したりもできます。
無敵。
そして喋ります。
「頑張って温めていますよ~♪」
「あと5分で出来上がります♪」
とか喋るんです。
家族、と呼んで良いですか…?
それはさておき今日は、
「過去の自分はもう別人だなって感覚は良いのか悪いのか?」
ってな話を記録します。
結論は出てないです。
日記やブログを読み返す
このブログを再開したきっかけは
「ブログ読んでます」って言ってもらえることが増えたからです。
「○○ってブログで言ってましたけど、」
みたいな会話の切り口に使ってくれる方もいて。
何かしら刺激になれているんだなぁと思うと嬉しいです。
そこで、誇らしげに自分でも読み返してみたんですけど、素直にコイツうるせえなと思いました(笑)
誰なんだよ、なにこのブログ目的はなんだよと(笑)
でもちょくちょく、なるほどなぁ、と思うところもあったりして。
本当に過去の自分は別人なんですよね。
なんていうか、昔の友達とかでもなく、
別の設定の異世界を生きてる知らないけど知ってる人みたいな。
この感覚みんなもあるのかしら。
だからこそ学べる
知らない人なので、こんな考え方もあるんだなぁと思えるんですよね。
で、本当に他人であれば自分に転用できるか分からないじゃないですか?
本を読んでも、この著者の感性が自分に合うかはわからない。
試す価値が生まれるからそれは大事なんですが、こと過去の自分の感じたことに関しては、絶対に自分に活かせるわけで。
でも自分がいつまでもその時の自分で居続けると、学びづらいんですよ、今ほそみゆたかに搭乗しちゃってるんで。
なので変わり続ける必要がある。
大丈夫ですかついてこれてますか(笑)
アプデして旧バージョンを振り返る
過去の自分を別人と感じるってことは、成長しているわけなんですが、ぼくがブログを書いていたのはたった2年前です。
いやもうね、1つ前の記事ですら、4日前の自分の文章すら誰やねんと感じるんですが。
これって成長じゃなく、一貫性がない、信念がないともとれるんですよ。
「ブレすぎなんだよ」と先輩に言われたこともありました。
器用貧乏とかそういう言葉はたくさん浴びてきました。
ぼくとしては、それこそがみんなが仰る信念なんじゃないかなと思えてます。
というか今思ったので今アプデしたかもしれない(笑)
「やってみないと分からないじゃないか!」
という良くあるセリフを深堀りすると、
試す(変化する)→比較することだと思っていて、
アプデしてみないと新バージョンの良さが分からないのはもちろんのこと、
現バージョンの良さも分からないんじゃないかなと。
なのでぼくはブレ続ける生き方がブレてないと思える。
良いじゃん、ほそみゆかた。
(自分の名前打ち間違えたのでアプデ不具合出てる)
結局良いの悪いの?
一貫性って、誠実性に繋がるのでとーっても大事なこと。
変わらないって信頼できるもんね。
なのでそっちも良い。
でもぼくは変わっていくほうが好き。
あれこれ理屈こねくり回してるけど、結局は楽しいほうへ、気持ち良いほうへ、が正解だと思ってます。
この記事も明日読み返したら何言ってんだコイツって思うんだろうなぁ(笑)
皆さんはどうですか。
アプデしてますか。