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ほそみ流「トラウマの乗り越え方」-新たに小説始めました。

ぴくちっぷ

「洗濯機の洗濯能力ってたいしたことなくないか?」と思い早速Tシャツと靴下と一緒にお風呂に入ってみたところ洗濯機が偉大なのは「脱水機能」だということに気づいた細見豊です。

何でもとりあえず実験と考察ですね。

さて今日は「僕なりのトラウマの乗り越え方」を記していきます。

皆さんは、人に話したくもないような「トラウマ」ってありますか?
僕は超絶ポジティブ人間で、「悩みなんかないんでしょう~?」ってよく言われますが、数え切れないほどのトラウマがあります。
でもそれが嫌な思い出であるうちは決して口に出しません。
なぜなら、聞いている人を不快にしてしまうからです。

みんなよく言うんですよ、「解決できなくても、人に話すだけでも、楽になれるよ」とか、「何でも言ってね、話だけは聞いてあげるよ」ってね。
心配してくださっている上に、なんて心の広い方なんだと感銘を受けつつ、感謝も伝えつつ、僕はいつもお断りします。
どうやら僕は、「人に話すだけで楽になれるタイプの人間」ではないようなんです。
むしろ人に話せば楽になれる人の気持ちが未だに理解できません。
これは、そういう人を否定しているわけではなくて。
自己分析をし尽くした結果、その点に関しては、僕は異質だということがわかった、と言うことです。

そんな異端児な僕は、嫌な出来事を人に話すとむしろシンドくなります。
言葉にすることによって、「それは事実なんだ」と意識してしまうからです。
「嫌な気持ちになったんだ」と言うことも自覚してしまいます。
逆に言えば、嫌な出来事を誰かに伝えない限り、なかったことにだってできるんです。

そして何より僕は「共感力」が強すぎることが、遺伝子検査によって明らかになりました。
あなたの悩みを聞いて強く共感して、一緒に悲しむことができるので、僕が聞く分には人様の役に立てそうです。
ですが、僕が嫌な出来事を相談してしまうと、相手も悲しんでくれて、その悲しみに共感してしまうようなんです。
単純に悲しみが2人分になります。

ここまでは、トラウマであることを認識しないために、人には話さないと言う「対処法」でした。
ここからは、「乗り越え方」です。

要するに、「悲しい出来事でした」と自分で認識せず、相手も悲しい気持ちにならないように変換できたら良いわけです。
例えば。

「自虐ネタ」と呼ばれるお笑いなんかがわかりやすいですね。
悲しくても辛くても、聞き手が楽しんでくれれば、「楽しませることができたもの」として、「辛いもの」ではなくなるんです。

笑い話にするのが難しくても、その出来事のおかげで専門知識が身についたりとかして、それを発信することで誰かの失敗を防いだりできます。
事実がどうとか、それを通して自分がどんな気持ちになったとか、それは「主観」であって。
「他者目線」で考えると、
「そんなにツイてない事あるかね!(笑)」
「それは貴重な経験だなぁ!」
そう思ってもらえるだけでも、人の役には立ってるんです。

僕はもう他者目線を頑張りすぎて自我がなくなってきたように感じます。
でも、こと「トラウマ」に関しては、今でも夢に見るし、思い出せば汗がにじむほど熱くなります。
これをなかった事にするのはどうしたって無理で。
かといって、笑い話にするにもちょっと品がないんですよね。

というわけで「小説」を書き始めました。(どーん)
特にこの1年は、どんな作家さんでも「ちょっとやり過ぎだろ」って思っちゃうようなトラウマが連発したので。
事実を書き連ねるだけで相当面白い「読み物」になると思うんですよね。

今まで笑い話にするか、役に立つ知識として、しか発信してこれませんでしたが。
新たに、「1つの物語として書き上げちゃう」と言うトラウマ対処法を実践してみようと思います。

つまりまとめると
・笑えるか
・学びになるか
・物語にするか

何としてでも、人の役に立ってやる。
その為なら、トラウマだってなんだって発表していきますよ。

皆さんは、トラウマをどうやって乗り越えてきましたか?
ぜひ教えていただきたいです。

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