信用と信頼の違いが腑に落ちた件
パソコンを立ち上げた時に日替わりで出てくる世界の絶景画像を見るのが毎日の楽しみなほそみゆたかです。
#無趣味すぎるだろ



さて今日は「信用と信頼の違いを知って人生観アプデしました」って件を記録します。
信用と信頼
そもそも違いがあるの?ってとこから。
ググったスクショがこちら。

そういえばなんとなーく、信用は仕事関係で技術面のイメージで、
信頼は交友関係で感情面なイメージで使いわけていた気がします。
どちらも同義語のように感じてましたが、「過去か未来か」って分類が最高にシビレましたよ。
この違いは、かなーり大事な気がします。
#しません?
ぼくはこういう、言葉遣いや意味、漢字の成り立ちとか、好きなんすよ。
違いを深掘り
違いといっても、人様に信じて貰うって点はもちろん一緒です。
たぶん信用の方程式的には
頑張る→スキルが上がる→役に立つ→続ける→実績になる→「信用」が得られる
つまり過去の話をベースに、ってことですよね。
で、このどれかが欠けても信用は崩れる。
守り続けなきゃならない。
ノーミスノーダメが基本で、プロ根性を発揮せにゃならん世界線。
信頼はというと、「そんなことよりイイやつ」っていう、途中式がない感じかな。
もちろん、「イイやつ」ってのがクソムズイんですけどね。
こんだけ頑張ってるんだから、イイやつなんだろうな、この先ミスがあろうと頑張るんだろうな、みたいな。
でも、信頼があれば、どんだけ頑張れなくても、結果が出せなくても、役に立てなくても、構いやしないぜ、友達だろ?っていう。
信用がなくても、信頼があれば、ほっとけないというか。
逆に、信用はあるんだけど信頼がないと、少しのミスや不祥事で一気に崩壊する。
「あの人、腕は確かなんだけど…難しい人でねえ…」みたいなキャラかしら。
まあ、どっちかしか得られないわけじゃないし、素直に頑張っていれば、どちらも貯まっていくものではあると思います。
で、人生観変わったなあって思った件はなにかというと。
大事なのは信頼であって、それを得るためにも信用を積み上げていっていたはずが、
信用が貯まると、信頼を軽視するように、なっちまうのが人間なんじゃねぇのかなって、思ったわけです。
#ほんとほそみはこういう話好きよねえ
しっかり線を引く
とかいうと、あたかも自分が、信用を獲得した成功者で、信頼も大事にしてる人格者ですと言ってしまっているようですが、とんでもないです。
家族が家族じゃないと知り、一文なしでホームレスになって、リゾートバイトで貯金して、死に物狂いでミュージション応募を勝ち取り、人生リスタートして、ちょうど昨日、5年経ったんですよ。
5年前までホームレスですよ?
そんなやつが人並みに頑張っても、信用も信頼も積み上げらんないっすよ。
本当の名前がなんなのかも知らないこのぼくが。
そんなぼくを信頼してくれているのなら、それはそれは有難いことですし、受け止めきれない思いですが、ただただ、真摯に愚直に、お役に立てるよう取り組むのみです。
おかげさまで実績は積み上がってきてはいますし、その信用のおかげさまで、信頼も得られやすくはなったのかもしれませんが、どこまでいっても、それは偶然だし、ぼくが凄いんじゃなくて、信じてくれるあなたが凄いんですよと、常々思っています。
#謙遜しすぎて逆に怪しいやつ
#信用できない
で、それはぼくが勝手に思っとけばイイ話として、何が言いたいかって。
そんなことを常々思ってるので、人様が信用や信頼を大事にしてるかに、ぼくは敏感ですよと。
#急にやめて怖いな
#いくら蔑まれてもニコニコしてるやつが仲間を侮辱された途端豹変するやつ
ぼくはド底辺にいますから、どんな人様も大切に、どんな人様とも信頼関係を築く、と思ったら大間違いで。
ド底辺だからこそ、しっかり見極めて線を引いていかないと、すぐ身を滅ぼしちゃいます。
信頼を疎かにしてる方々に構っている暇がない、キャパもスキルもない、って意味です。
信頼のおける方、つまりその人の未来を信じられるぞって方としか、関わっていく意味がない。
「信用はあるけど、信頼はしてないな」っていう感覚が腑に落ちたんですよね。
「信用してくれてはいるみたいだけど、信頼はされてないな」ってのもね。
ただの言葉の上でのことですけれど、この違いを認識したうえで考えると、ミスが減りそうで嬉しいのです。
ほんと、何度もこのズレに悩まされてきた気がします。
まとめ
信用を積み上げていって、信頼を貯めていくのって大事よねってな話でした。
信用を積み上げてるのに、信頼が貯まってねえどころかぶち壊してきたんですけど、みたいなこと、今まで何度もあったなあって思ったんすよね。
それって、ぼくが信頼を築けてなかった、その程度の男ってのはそりゃそうなんですけど、ここじゃ信用を積んでも信頼が貯まらないって気付けてりゃなあと思うわけです。
どこまでいっても、自責の念ですね。
6年目も慎ましく生きていきます。
ではでは。