興味が湧くまで掘ればいい
レッスンをすればするほど体調がよくなっていくレッスン狂ほそみゆたかです。
#文字通り病みつきだぜ
さて今日は「興味が湧くまで掘ればいい」って小話です。
興味がないは甘え
「他人に興味ないんだよね」「楽しくなきゃテンションあがんなくない?」
みたいなことってあると思うんですが、甘えです。
#突然どうした
いつもニコニコは難しいし、無理する必要はないんだけど。
でもいつも楽しそう、ワクワクしてる人は魅力的です。
そりゃ絶対興味ない遊戯王の話とかされても、楽しそうに耳を傾け相槌を打ち続けるのは拷問でしょう。
もちろん話す側も相手の興味のありそうな話をしてあげるべきなんですが、聴き手が興味ないかどうか分からない。
そうすると、デュエリスト同士でしか話が出来なくなります。
#例え話です #デュエリストだけで話しててください
聴き手は、相手の話を上から目線で査定することになっちゃうんですよ。
「ふんふんそれで?俺様に関係あるそれ?お前がつまんないから俺様つまんない顔してるんだよ?」ってなもんで。
でも相手のためにニコニコしてろってわけじゃないんですよ。
「興味が湧くまで掘れ」って話です。
てめーの興味はてめーで用意しろってことです。
#口が悪いぞ
興味がないからつまんないは甘えです。
なにをそんなに面白いと思っているのか質問したり調べたり、自分もデュエリストになる必要はなくても、知ろうとする好奇心。
「全然おもしろくないのに面白がってるやつら」を面白がるとか。
さすがに遊戯王はハードルが高いんですが、この興味のない話をしてくる話し手を「人生」に置き換えてみてください。
#置き換えるのむっず
ワクワクは自分で探せ
「なんでそんなに頑張れるの?」って問答は過去に無限回してきました。
答えはいつもシンプルで、「楽しいから」です。
「楽しいことばっかりじゃなくない?」に対しては、結構なぞだったんですよね。
え?人生って楽しくない?楽しくないなら、なんで楽しくないを選び続けてるんだろう?って。
それは自分から楽しいを探してる人の発想で、「楽しいが振ってきたから楽しかった」みたいな受け身な人とはまったく別の思考回路だったんですね。
どちらも悪いことじゃなくて、お小遣いもなくてボール1個で無限に遊びを開発しないと退屈だったからってのもあるし、家族が助けてくれないから自分でなんとかしないと生きていけなかったってこともあるかもしれない。
#音読カードの親のサインとか自分で書いてました
「食事に困ってないから狩りの必要がなくなる」みたいな話なのかな。
恵まれてることは悪いことじゃない。でも、ぼくはぼくで貧しさを楽しんできたし、よかったな~とすら思ってる。
これからも座って待ってる人を置いて先へ進みます。
座ってみてる人たちの「見世物」「読み物」くらいには役に立てるかもしれない。
まとめ
たぶんとっても大事なことで、ほそみの核の部分かなと。
コミュ力と誤解されがちなんですけど、ほそみはコミュ力が高いわけじゃなくて、ただの知りたがり、好奇心オバケなんですよね。
退屈な時、思い出してみてください。
今つまんないけど、興味が湧くまで掘ってみるとしたらなにしよっかな~って。
ではまた、お互い何が何でも楽しみましょうね。