困っていない人を助けるのは難しい
Masaki.くんがCM音楽を務めた無印良品Tシャツを買ってきて宣伝する、真のメロディマンヲタク細見豊です。

さて今日は「困っていない人を助けるのは難しい」という話を記録しておきます。
自覚がない
そもそも人を助けるなんて大それたことは出来ないという大前提を書いておきます。
漫画のヒーローじゃないのだから、一般人であるぼくらが誰かを救えるなんてことは、ほぼ、ない。
そして漫画のヒーローじゃないのだから、困っている人はあんまり現れない。
では、話を始めようか。
「あの人のこういうところが良くないからアドバイスしてあげよう」、なんて人がいるとする。
例えば、ほそみは着ている服が全てユニクロでダサいと教えてあげよう、みたいな。
#悪い例えの時は自虐で書きましょう
でも、ダサい人は、困ってないんですよ。
分かってたらダサくならないし、大抵の人は、困っていることは自分で解決出来る。
誰かに相談する、という行動も、自分でできる。
問題が解決してないということは、誰にも助けを求めていなくて、つまり彼にとっては問題じゃないんですよ。
なのに問題ですよと言われると、まず何が問題なのかの説得をしなくちゃで、否定を押し付けるわけで、とっても嫌な行為なんですよね。
なので、私服がダサいという時点で、もうそいつは救えないんです。
#極論きました
その人の役に立てる!と思って声を掛けてるのに…というモヤモヤが生まれ、相手は余計なお世話、おせっかい、と嫌な気持ちになる。
基本的には助言というのは、どちらも不幸になるシステムです。
人は変えられない
これに尽きるんですよね。
他人というのは自然とかと同じで、変えられない。
変えることが出来ないものとして考えないと、生きづらいです。
誰しも変化が怖いしストレスなので、例えもっと良くなるとこちらが確信していたとしても、彼にとっては否定され変化をさせられるわけで、そりゃあ拒否反応出るよね。
でもじゃあ、困るまで待つってこと?
失敗させてから教えて覚えさせるみたいなやつ?
突き詰めればそういうことなんですよね。
それこそ「ミスすると分かってました」みたいな視点が嫌になりますけれど、ご自分で気付いて貰わないと助けられないんです。
てゆーか、求められでもしない限り、助けるメリットがない。
リスクがある、って言い回しの方がイイかな。
リスクがあってメリットがないことを、わざわざしないよねと。
でもそれ、悲しいというか、コミュニケーションが減るよね!いやだよね!それは!
助けられやすいやつ
これは何度か書いてますが、助けられやすいやつになるってのが上手に生きるコツかなと。
信頼が宇宙一大事と口酸っぱくここでは書いてきましたが、それはつまり「情報量」に関わるからで。
ここはコミュニケーションが円滑なやつが強いって世界線なんです。
情報戦なんですよねこの世は。
で、「問題を自覚してない人は助けられない=イイ情報が入ってこない」って構図が問題で、じゃあどうしたらイイかと言うと。
「常に最善を尽くしたいので、耳寄り情報求む!」
ってな姿勢が大事かなと。
「知的謙遜」ってやつっすな。おれこの言葉大好き。
「一緒にこのゲームを攻略しようー!イイやり方があったら共有しよー!」ってスタンス。
これなら困ってなくても、もっとイイやり方があるよって「提案」になるし、少なくとも否定にはならない。
学ぶ姿勢がある人は前向きに捉えるし、入ってくる情報の質が高くなるはず。
より良くなっていっているはずだからね。
問題点を自覚するのは難しい、というかバイアスにハマらないのは不可能なんだけど、知的謙遜マンになれば、ダサいままにはならないかも。
あと、知的謙遜マンは、素直だよね。
建設的に情報を比較していくし、より良いと思ったら感謝してすぐ取り入れるタイプ。
そんな人には、いろいろ提案したくなるってなもんで。
こんな服が似合うしトレンドだし手に入りやすいよとまで提案されて、邪険にされたらもうずっとダサくいやがれってなもんですもんね。
助けられやすいやつってのは、そんな意味でした。
まとめ
トレーナーって職をしていると、偉そうに助言をし続けるわけで、気を付けないとなあと思うのです。
もちろん、指摘していかないと職務怠慢なのですが、伝え方やスタンスは揺らがないようにと。
あくまでぼくがするのは、「提案」。
「視野を広げる」、「選択肢を増やす」、程度のこと。
直接的に助けようと思ったら摩擦が起きやすいからね。
そして先生じゃなくて、「情報共有仲間」みたいなスタンスでいないと、どっかで間違いが起きる。
これは仕事じゃなくても、人間関係全てにいえるので、たまにこうして考察して記録し続けることが、唯一の予防になるかなと。
そんな小難しいことばっかり考えて生きてますよ、ほそみは笑