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作品を遺すということ。

ぴくちっぷ

Masaki.くんの音楽ピクニックCARプレゼン資料画像に和装ほそみが使われていて嬉し恥ずかしほそみゆたかです。

#最近自己紹介文中に名前言っちゃいがち

さて今日は、久しぶりに本気の作曲をしたので、その記録です。

作品を遺す

2年前の夏に生まれたメロディを、1年前に完成させて、この夏、形にしました。

作曲は直接的には誰の役にも立たないので、人生の優先順位が低いというか、無意味なんですよ。

昔はとにかく逆境精神で、世の中や身の回りの人間や生い立ち、人生そのものに抗いたくて、がむしゃらに作曲しまくって歌いまくってきました。

でも、がん宣告を受けたり(誤報だったけども)、家族じゃなかったり、ホームレスになったりを経て、自分なんかどうでもイイじゃんってなったんですよね。

もう死んだも同然だったし、なんなら、そもそも誰から生まれたのかすら未だにわかんない。

どうせ意味不明な存在なので、せっかくなら人の役に立ちまくろうと人生観ぶち変えて今に至るのです。

今は1対1で心から向き合って、ひたすら役に立とうという仕事を作り上げて、人知れず生計を立てています。

誰にも知られずとも、音楽で食っていっています。もうゴールなんですよね。

最近、生き死にについてよく考えます。

考えられる余裕をゲットしたんだなと嬉しく思っています。

で、自分とは何だったんだろうと良くある思考にハマりまして。

この思考やスキルや経験値を、形にして遺せるのが人類のすげーとこだよなって。

おれには作曲があるので、言葉と音楽を1つにした最強の「遺せるもの」があるわけで。

やっぱり回りまわって、ここへたどり着くのは、好きとか得意とかじゃなくて、答えだからなんだよなあと。

人生の優先度が低いと冒頭に言いましたが、トンデモナイね。

作曲能力をなんであんな死に物狂いで磨き上げていったのかって、人生の目的だからだったんだなと、今では思います。

なんかそんな気持ちで作っていたら、切なめなテイストになっちゃいました。とくに終わり方とか。

それにしても、久しぶりに本気で作曲をしたら、命が削れていく感覚がしました。

懐かしい。比喩じゃなくて、まじのまじで命懸けで心血注いでます。

過去の音源たちも、血の匂いを感じます。久しぶりに聴くと、いつも心がねじれる感覚になる。

なんか壮大なハードル上げ記事になってしまった気がしますが、ただの記録でした。

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