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ノーコメント力を上げたいなあと。

ぴくちっぷ

リングフィットアドベンチャーを2年かけてメインステージ、エクストラステージも全クリしついに終わっちゃうと泣きそうになっていたらマスターステージが登場して大はしゃぎしているほそみゆたかです。

#もう1年延長決定 #終わらないでくれ

さて今日は「ノーコメント力(りょく)」について記録します。

ほそみが苦手とする能力です。

ノーコメント力

ぼくの造語ですが、つまり「意図的に反応をしないチカラ」です。

もっというと、反応するものを選んでいきたいよねって話ですな。

いつも書いてるように、ぼくは徹底的に「エンカウント」を避けます。

エンカウントは遭遇って意味で、トレーナーと目が合ったり、草むらから飛び出してきたりしてポケモンバトルが始まるやつです。

エンカウントしちゃったら、どうぐを駆使したり、相性のイイポケモンに入れ替えたりしてなんとかするか、にげるを選びます。

#たたかうを選ばない

でもそれって「反応」してるので、リスクがある。にげられないこともあるし、負けなきゃいけないこともあるし、相性のイイポケモンもどうぐも持ち合わせてなかったりする。

そうすると被害者意識が芽生えたり、戦っちゃったりする。

ので、そもそもエンカウントをしないよう事前に徹底して避けるのがベストウィッシュ。

#人生の話をしてますからね?

それはいつも書いてきたことだけど、だいぶ前だからまたまとめようかな?最近この手の相談をよく受けるので。

でも今回はそこから派生した話で、自分への気づきと戒めをば。

口は災いの元

例えば幼い頃ぼくは、初恋の舞ちゃんがいつでもぼくをどこかで見ているかも聞いているかもしれないと思いながら行動してました。

#みんなもそうだよね?

テレビのバラエティで、ドッキリ番組とか隠し撮りとか、そういうのを見ていて、オフの時はこんな顔でこんな態度を取ってるんだとかって、恥ずかしい人間にはならんとこって思うこと、ありますよね。

それと嫌な話で言うと、ぼくが小学生の頃から流行り出したんだと思うけど、「シカト」っていうのがあって。

物理的なイジメはリスクがあるから、ただ無視をするっていうやつ。

あれが本当にキツくて、自分はそうはならんとこって、オーバーリアクションを身につけていったんです。

つまり、すべての物事にコメントをしていく。

いつ誰に見られていても恥ずかしくないし、むしろ誰にでも伝わるような解説をするようなリアクションを、ってね。

それがぼくのコミュ力や言語化能力やらのルーツな気がします。

それ自体は活かした仕事を生み出せていると感じてますが、問題は、コメントしなくてイイもの。

どれほどこちらが被害者でも、それに対してコメントをするとなると、悪く言うことになるわけで。

ぼくの口から悪い言葉が出てくるところを、舞ちゃんに見られてしまうわけです。

#今でも舞ちゃんかよ

まさに口は災いの元で、被害に遭ったことを説明すると、その瞬間に加害者になっちまうんです。

これはこの世の中でもトップクラスのトラップですよね、恐ろしい。

でも説明しないと伝えることが出来ません。なので人は愚痴を言い合える関係な友達を必要とし、そう言った時間を設けないと心を保てないように出来ています。

しかし、伝える必要、あるっけ?

自分も相手も不幸にしてる

これもいつも書いてますが。

嫌なことが降りかかってくることはあるとして、それを受けてどう反応するか?は選べるんです。

で、「→嫌な気持ちになる」をわざわざ選んで、さらに「→これを友達に言おう」を選んで、

そして自分と友達の人生を割いて、コメントすることで再度自分も嫌な気持ちを思い出し、大事な友達も嫌な気持ちにするという一連の行為。

不思議で仕方ありませんが、人とはそういう習性を持っています。

確かに説明しないと自分が被害に遭ったことを伝えられないんだけれど、伝える必要、あるっけ?

そもそも「→嫌な気持ちになる」を選ばなければ、嫌なことというのが自分に何の影響も及ぼさないので、コメントするに値しないんですよね。

てことは極論、嫌なことなんてこの世から消せる。

#出たよほそみの極論

てゆーか、説明しなくても舞ちゃんは全てを見てくれているから、ぼくが悪くないこともわかってくれている。

#いつも心に舞ちゃんを #例えにしてもさすがに気色悪い

冗談はさて置き。

愚痴を言い合える関係を素敵とは全く思わないし、嫌な気持ちを共有しようという人を否定はしないけど、他をあたってくださいと丁寧に断ってきました。おすすめです。

で、ぼくはというと。

考察からのけいけんち

これが本題なんですけれど、ぼくはというと、すべての物事やすべての人の「流れ」みたいなものを、せめて考察はしておこうと思っています。

エンカウントを避け続けていますが、「あぶね〜うまくにげきれたぜ」っていうコメントも、口は災いの元だなあと最近よく思います。

見ての通りほそみはレッスンかライブしかしてなくて、誰とも愚痴とかプライベートトーク的なのをしていません。

なのでかなりのノーコメント力があるように思えますし自信あったんですが。

気づいたらかなり独り言でコメントしてるなあと笑

「今の店員さんは丁寧な接客をしているようで全くこちらを見ていなかったな、流れ作業にならないようぼくも気をつけよう」

「すっごい咳してるのにマスクもしてないやばいやつがいる!隣りの車両にかえよう」

とかって普段コメントしまくってるんですよ。

世の中って反面教師にすることの方が圧倒的に多いので。

それら全て、悪口とも言えるじゃないですか。

自分以外のすべてのものは変えられなくて、人の心だろうと天気みたいなもので、雨が降るのは仕方がないし文句なんていってもしょうがないよねっていうのがこの世の真理。

なので雨の中、傘もささずわざわざ出て行って「濡れたじゃねえか!」って言ってるのが被害者ムーブの人たちで、もちろんぼくはいろいろ学んでそんなことはしないけど。

でも、「そんなことはしないけど」「被害者ムーブの人たち」ってコメントを、ぼくは部屋の窓から見える、雨に打たれて騒いでる人たちに今まさにコメントしてるわけですよ!!!

これ、大問題じゃない?

#伝わってる?

つまり何が言いたいかって、ぼくももちろん、まだまだなんだよなって。

エンカウントしないのは当然として、エンカウントしなかったぜ〜ってコメントしてるレベルじゃまだまだ彼らと同じ世界線にいるじゃんか。

そこで、「ノーコメント力」を身につけたいと。

それらに対してノーコメントを貫けば、なんと彼らは存在しなくなるので、晴れて別ゲーを快適に遊べるんです!

#極論すぎる #伝わってる気がしない

まとめ

そんな小難しいことを考えながら生きています。

最近の大発見なので、記録しておきます。

記録しておきたいってことがもう、コメントしたいってことで、ノーコメント力の定義がムズカシイ気がします笑

すべてを自責で考えるのは大事なことなので、今回もその延長だったということで。

ではでは。

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