ジャッジしなけりゃ割と無敵
毎日歌ってスマブラして遊戯王して小学5年生の頃の生活じゃねえか、ほそみゆたかです。

さて今日は「ジャッジしなけりゃ割と無敵」というテーマで記録します。
処世術としてお聞きください。
ジャッジをしない?
心理学の世界でよく使われる「ジャッジ」という言葉。
「判定」「審判」って意味ですが、これがなかなか危険なので避けるが吉ですよと。
なぜなら自分の立場を決定づけちゃうからです。これがなぜ危ういのか。
例えば、「イイ歳して遊戯王をやりこんでるやつとかキモいし引くよね!」って意見をあなたが持っていたとします。
#具体例を出す時は自虐ネタで

いくらそう思っていたとして、「遊戯王ヲタクはキモい」と口に出し、ジャッジを下してしまうと、少なくともあなたはもう遊戯王をプレイすることが出来なくなります。人生から可能性を抹殺する行為なんです。
「別にいいんだけど?」と思うことが大半だと思いますが、わざわざ可能性を潰して、しかも敵を作る行為を、する必要がないのです。
どころか、「イイ歳して」関連や、「ゲーム」関連がすべて抵触し、趣味や生産性のない娯楽をしようもんなら、「遊戯王のことバカにしてたクセに」と、デュエリスト以外の人類も敵に回す恐れがあります。
めっちゃ大袈裟ですが、そう聞くとわざわざリスクを負ってジャッジしようとは思いませんよね。
ジャッジを求められたとしても
で、ジャッジが厄介でめちゃムズなのが、「聞かれたから答えた」とか、「ジャッジしたつもりはないけど、ただ意見に同意しただけ」とかってパターンがあるからです。
なにも自分から突然デュエリストをディスったりはしないはず。
#しないよね? #ね?
でも、「デュエリストってどう思う?」「課金とかして無駄だと思わない?」「特典の為にゲームソフト10個とか買うらしいよやばくない?」とかって言われたら、「うん、そう思う!」と適当に合わせたとしてもそれは「ジャッジ」なんです。
#イジメが広がるのもこれ #例に出してごめんよ決闘者たち
え?でも聞かれたらしょうがなくない?否定しづらくない?否定したいわけでもないし、つーか正直なんとも思わないし…ってことが多いですよね。
そう、むずいんすよ、ジャッジを避けるの。
でも賛否どちらでもないはずなのに、相槌を打つと反対派に所属しちゃうんすよ。
ジャッジは立場を明言する行為なので、「こっち派です」と表明してしまうんですな。
じゃあどうする?
避けるか両方褒める
とにもかくにも意見を控えます。
「自分だけ意見言わないのズルくない?」とか言われないように上手いこと立ち回ります。
てゆーかそういう場所にまず絶対にいかない。
#これ超大事
打ち合わせとかじゃない集まり、飲み会、みたいなのって、絶対そういう話になるんです。
なので、行かない。共犯にさせられるのが目に見えてるのでね。
どうしても避けられないときや、「いやー自分もそう思うんだよな〜」って時は…両方褒めます。
まずは意見をした人と共感して「分かるわ〜確かにな〜」と。で、そうじゃない方の人たちに共感して、反論してる感を出さないように気持ちを想像で話す。
「いや分からんけどこういうとこが面白いんかもね~?」と。
これでイイ感じに議論になって、どちらの意見も真剣に考えてる人というポジションが取れて、どっち派みたいな審判から逃れられます。
ぼくはこれで逃げ回ってます笑
意見を持たなければ無敵
「無敵」ってのは負けなしの強いやつって意味じゃなくて、その名の通り「敵がいなくなる」んです。
「赤組です!」っていうから、白組が攻めてくるんですよね。
目指すのは「白組に負けない!」じゃなくて、「運動会に参加しない」、です。
#これが真理 #ダサいとか言わない
まとめ
いかがだったでしょうか?
「ジャッジしない」はなかなかの必殺技で、人生攻略法の1つだと思ってます。
とかいって、このブログにばんばん意見書きまくってるほそみはなんなんだって話ですが、ぼくは実は「白か黒か?」みたいなことは書いてません。
#さっきは白赤だったって意味じゃなく
まあここはあくまで脳内記録。信頼のある皆さんになら、しっかり意見を明かしていきたいと思ってますよと。
どなたかのお役に立てればと思います。
では、また。