「個の狂気」ってのに燃えてきた話
ずっと自宅で愛用してきた環境音動画がホームレス時代に住んでたとこだったことに驚きと優越感を覚えるほそみゆたかです。
#岐阜県山県市 #本当にイイとこだった
さて今日は「個の狂気」について書き記します。
最近ほそみ燃えてるぜって話です。
個の狂気
西野亮廣さんのこの言葉に触発されたってだけの話なんですが、まあ聞いていってくださいな。
読んで字の如く、人間1人の狂ったように取り組んだ何か、です。
もはや狂気を感じるような活動、創作、そういったものにしか、圧倒的な”なにか”は生まれないよね、みたいな話があったんです。
ほんとそうだよなと。
でね、ほそみはまさにそこに生きがいを感じていて。
このドット絵とかもう、狂気じゃん。



狂ってるよね、なんでこんな頑張ってテンテン打ち続けていたんだろう、意味不明すぎる笑
なにより過去作ったCDは全てほそみ1人で作成していて、ほんと狂ってると思う。絵本かいたり。これらね。
でも大人になると気付くわけです。
個人が狂気的にいっくら作れども作れども。
人様のお役に立たなければ、誰かに届いて心を動かさなけりゃ、まったくの無意味であると。
人知れずコツコツ続ける努力が美談になるのは、その様子を描く映画や漫画だけなんだよと。
ほそみは気付くのが遅かったけれど、お陰様で人様のお役に立つには?という思考で人生を構築出来ました。やったね。
他力本願?
で、いざそんな他者志向な生活を構築してみると、確かにあなたもわたしもハッピーで最高に幸せなんだけれど。
ふと思うことがありまして。
他者志向は素敵なことなはずだし不満は一切ないのだけれど、ちょっと待てよと。
誰かがいて、役に立とうと頑張って、感謝や信頼や金銭といった報酬が貰えて、ぼくもハッピーって、人生の大正解だと思うんですが…。
なんかね、誰かがいないと成り立たないのって、他力本願だなあと。
そんなわけないんですけどね?
でも、おれ自身のみで成立するなにか、それをやってないから、だからライブや制作を辞めた今、なーんか情熱が足りない気がしてたんじゃねぇかなと。
変な思考になったもんですなあ。
でも、「個の狂気」の話を受けて、これじゃんってなりました。
役に立つかはさておき、「コイツ…狂ってやがる…ッ!」っていう活動を、ほそみはしたいのかもしれません。
1周回ってここへ戻ってきた感がありますねえ。
それは今まで死ぬ気で創作してきたからだし、そしてそれをストップして人様のためにと頑張ってきたからだし、そしてそれすらも安定したからなんだよなあと。
うーむ、何もかも順調なのかもしれません。
作品を届ける
とはいえ、またほそみは「狂気的に創作だ!」とがむしゃらにやっちゃうと、全く役に立てようがないドット絵とか描き始めちゃうので。

このパジャマ姿のぼくも、心の中の天使と悪魔も、自分で作ったんだよね★

ドット絵でワタシたちを生み出してくれたんだもの、役に立ってるじゃない♪

ケケケ…この吹き出し機能にオレサマたちがいること、忘れてたくせに…
それはさておき、せっかく、人様のお役に立つ活動が天職と思えて構築出来たので、狂気的な創作や活動を、しっかり人様のお役に立てようじゃねえかと。
人様のお役に立てることを狂気的に取り組めばイイんだよと。
たぶん、ほそみの1人で黙々と作るスキルと、他者志向スキルが噛み合ってなかった。
しかし届けることを黙々と作りあげると考えれば共存出来るはず。
#でかいひとりごとだこと
とりあえず作曲したくてたまらないので、音源化してない曲たちを、片っ端から作品化しようと思います。
気に入ってる曲が50曲くらいありますんでね。新しくも作るけれどね。
そして作曲や作詞、DTMなんかはレッスンの教材になるわけで、届け方が「ファン作り」ではないのであればほそみは頑張れます。
いやはや、ここまで来ましたねえ。
てなわけで今、メロディマンチームで歌わせて貰ってる「いいテンポやん!」の音源制作を進めています。
こちらに作品を卸し続ければ、用途があるというか役に立つ確率は高そうなので、いろんな曲を作ってこうかなと。
ほそみ、燃えてます。
まとめ
てなわけで決意表明でした。
「個の狂気」ときいて、狂気的になにをしたいっけと考えたら、やっぱりとにかく作品を残したいなあと再確認出来ました。
みなさんは「個の狂気」を表現するなら、何をしますか?
熱狂的な夏にしようぜ!ほな!